“Never Stop Exploring(探検をやめるな)”
THE NORTH FACEがこのスローガンを掲げてから50年が経ちました。
今では見かけない日はない、というほどに、ノースフェイスは街の風景に溶け込んでいます。
世の中の人々から高い支持を受けるノースフェイスですが、その歴史や背景を知っている人は意外に少ないのではないでしょうか。
ファッションとしても確固たる地位を築いているノースフェイス。
しかしその実態は、ただのファッションブランドではありません。
本物のアウトドアブランドなのです。
創業からの約50年間、THE NORTH FACEはどのような探検をしてきたのか。
今回はノースフェイスの歴史についてご紹介します。
THE NORTH FACEの誕生
1966年、サンフランシスコのノースビーチ地区で、THE NORTH FACEは誕生しました。
創設者の名前はダグラス・トンプキンス。
彼は自然を愛するアウトドアマンでした。
トンプキンスは12歳の頃にロッククライミングに出会い、やがてスキーや登山に目覚めていきます。
17歳を過ぎた頃にはアンデス山脈でのスキーに明け暮れ、数年後にはヨーロッパや南アメリカでスキーレースやロッククライミングをして過ごしました。
自然を愛するトンプキンスは1966年、ロッククライミング用品やキャンプ用品の販売店として、THE NORTH FACEをスタートさせます。
“Never Stop Exploring(探検をやめるな)”
創業と同時に掲げたコンセプトの通り、THE NORTH FACEとしての探検が始まったのです。
スリーピングバッグやバックパック、登山用テントなど、販売した製品はどれも良質なものでした。
ノースフェイス創業から2年後の1968年、トンプキンスは株式を売却し、ノースフェイスを離れ、アドベンチャーフィルム撮影という新たな探検へと旅立ちます。
ノースフェイスを引き継いだのはケネス・ハップ・クロップでした。
トンプキンスからハップへとノースフェイスが引き継がれた同年に、新しいロゴマークが作成されます。
ヨセミテ公園のハーフドームの北壁をモチーフとした、ドーム状の3本ラインのロゴマークです。
3本のラインは世界三大北壁である、スイスのアッガー北壁とマッターホルン北壁、フランスのグランジョラス北壁を表しています。
北壁からのアプローチは、どんな山においても最も過酷なルートとされています。
過酷な北壁をモチーフにすることで、ノースフェイスの装備品はどの既存品よりも先に進んでいることを表しているのです。
トンプキンスからハップへと受け継がれ、新しいロゴを手に入れたTHE NORTH FACEは、この時から数々の名作を世に送り出していきます。
良質なアウトドアギアで人々を探検へと導く
信頼の起源 スリーピングバックの誕生
これまで数々の良質なアウトドアギアを世に送り出してきたTHE NORTH FACE。
そのルーツとも呼ぶべき製品がスリーピングバッグです。
ノースフェイスが発表したスリーピングバッグは、高品質なだけはなく、最低何度の気温まで快適に使用できるかという「最低温度規格表示」を明記しました。
明確な数字を開示することにより、ノースフェイスは消費者から信頼を得ることに成功したのです。
最初のヒット商品 ルースサックの登場
1969年には「軽くて、シンプルに」をコンセプトにしたルースサックが誕生します。
店舗の敷地の半分を工場にして、ノースフェイスの作られたルースサックは、インナーアルミフレームを採用してデザインされました。
重量があり機能性の低い外部フレームを使用していた従来のバックパックに、高い機能性がもたらされました。
軽くて機能性の高いノースフェイスのルースサックが登場したことにより、世界中のアウトドアフリークはより快適に自然を楽しめるようになったのです。
ルースサックはノースフェイス最初のヒット商品となりました。
世界初ドーム型テント オーバルインテンション
1975年、当時の主流であったA型テントに革命をもたらす、世界初のドーム型テント「オーバルインテンション」が登場しました。
オーバルインテンションには、伝説とも呼ぶべきふたつのストーリーが存在します。
まずひとつ目。
「20世紀のレオナルド・ダヴィンチ」と称されたバックミンスター・フラーとの出会いです。
フラーは建築家でありながら、デザイナー、哲学者と、様々な顔を持つ博士として知られていました。
多才なフラーが提唱した、「ジオデシック理論(大円上の2点間の最短距離からなる総三角形化)」と、「テンセグリティ理論(真の構造は連続した張力が不連続な圧縮力を統合する相互作用〈シナジー〉からなる)」のふたつの理論に基づいて、オーバルインテンションは開発されました。
このふたつの理論は、「生物の卵はすべて球形。これは球が外部の力に対して最も強い形だからにほかならない」という内容のものでした。
そしてこの理論を立証する出来事が、オーバルインテンションを発表した翌年に起こります。
ふたつ目のストーリー。
パタゴニア遠征での暴風雪です。
1976年、パタゴニア遠征に出向いていたイギリス・カナダ合同隊は、時速200kmとも言われる暴風雪に遭遇します。
従来のA型テントが次々と暴風雪に飛ばされる中、ノースフェイスのオーバルインテンションだけが飛ばされずに、隊員の命を守りました。
この出来事がきっかけでフラーの提唱した理論は立証され、テントの主流がA型からドーム型へと移っていったのです。
当時の常識を覆し、現代まで続く、確かな機能性に基づいたデザインとなったオーバルインテンションは、伝説と呼ぶにふさわしい製品となりました。
機動力を激変させたマジックパック
1977年にはフレームパック「マジックパック」が誕生します。
アルミ合金製のアウターフレームを持ち、腰に強化樹脂製のフレキシブルサスペンションを備えた、現代でいうところのサスペンションシステムのルーツとなるモデルです。
バックパッキングブームだった当時に、機動力が上がる画期的なアイデアとして、マジックパックは人気を得ることに成功しました。
マウンテンジャケットの登場
1985年に発表したマウンテンジャケットは、今でも抜群の人気を誇る商品となりました。
GORE-TEXの防水透湿機能を取り入れ、心地よさと動きやすさを追究したスキーウェアとして登場したマウンテンジャケットは、多くのアウトドアフリークから歓迎されました。
そのデザインも秀逸で、2色の切り替えデザインを採用した見た目は、確かな機能性を持ち合わせながらどこかスタイリッシュで、現代でも変わらず人気を得ています。
https://maison-okada.tokyo/2017/10/28/2017-mens-downjkt/
高機能はそのままに、ファッションシーンでも地位を確立
1990年代の象徴 ヌプシジャケット
1992年に発売されたヌプシジャケットは、ファッション分野においてのノースフェイスの地位を確立させるものとなりました。
エベレスト西南に連なるヒマラヤ山脈の標高7,861mの山、Nuptse(ヌプツェ)にその名が由来しているヌプシジャケットは、極寒の地でも優れた保温性を発揮します。
寒冷な地で快適に過ごす定番ジャケットとなったヌプシジャケットは、機能性とデザインでファッションの分野でも注目を浴びます。
世界の流行の最先端の地ニューヨークにおいて、ヒップホップを愛する若者たちから絶大な支持を得ました。
ニューヨークのコレクター、ジョーイ・ワンズ氏は、ヌプシ誕生25周年インタビューで、ノースフェイスのアイテムは基本的には山のためのものとしながらも、ニューヨークの厳しい冬にはヌプシジャケットの存在が欠かせないということを述べています。
ノースフェイスは1990年代のヒップホップシーンを象徴するひとつのアイコンとなったのです。
[box06 title=”あわせて読みたい”]
[/box06]
可能性の追求
2000年には数々のファッションブランドを持つVFコーポレーションの傘下になり、Supreme、JUNYA WATANABEなど様々なブランドとのコラボレーション製品を発表し、ユーザーの幅を広げることに成功しました。
成長を続けたノースフェイスは、現在では世界最大級のアウトドアブランドとして、アウトドアとファッションの境界を越え、世界中から人気を得ています。
ノースフェイスはスリーピングバックに始まり、バックパック、テント、ウェアと、アウトドアギアとしての確かな機能を持つ製品を次々と発表し、世界中の人々から高い支持を受け、探検の可能性を広げていったのです。
終わりに
現代のファッションシーンにおいて、世代を問わず絶大な支持を受けているTHE NORTH FACE。
その歴史は自然を愛するトンプキンスから始まり、ハップへと受け継がれ、本物のアウトドアギアとして続いてきました。
そしてこれからも、その歴史は続いていくはずです。ブランドの歴史を知るだけで、途端に身に着けるものにも愛着が湧いてきます。
かっこいいデザインと圧倒的なブランドバリューを持つノースフェイスには、自然と人とを繋ぐ確かな高機能が備わっています。
街だけで済ませるにはもったいない。
THE NORTH FACEと一緒に、自然へと出かけてみましょう。
きっとその行動は、探検となり、心を震わせてくれるはずです。
https://maison-okada.tokyo/2017/08/19/the-north-face-baltro-light-jacket/
コメント